ガファスフリークの皆さま、はじめまして。
私は普段、姉妹店であるdecoraでブログを書いている漆畑と申します。
社内で広報も担当している関係で、4月のG.B.Gafas梅田のリニューアルを目前に控え、私の体験をもとにG.B.Gafas(※以下ガファス)とは何者なのか、どんな眼鏡屋なのかをより深くお伝えできればと越境執筆に参じた次第です。
何を隠そう私もこの会社に入社した当初、ガファス堀江の前身である南船場店に配属されていました。まったくのガファス未経験者ではないのです。
私がガファスの門を叩いたのは2000年の夏。
当時関西にある量販系眼鏡店に2年ほど勤務していた私は、棚の奥に眠っていた古い売れ残りのローデンストックや、DCブランドのサングラスを毎日眺めながら、こっちの方がカッコいいのになぜ店に来るお客さんは、そのことに気付かないのだろうと感じておりました。それを店の先輩に言っても、「へんなヤツだな、お前は。」と笑われる始末で、何となく居場所の違いを感じておりました。
そんな折に登場したのが、モードオプティークという眼鏡の専門雑誌です。
そこに紹介されていた眼鏡や眼鏡店は、量販店とは違う視点で“ファッション”しているのでした。眼鏡が“アイウェア”なんて呼ばれ始めたのはこの頃からで、コンセプトのあるデザイン、店舗空間はまったくもって新鮮で、ライセンスだらけのコピー商品に辟易していた私は、Penやモノマガジンなど様々な媒体で組まれ始めた眼鏡特集を貪るように読みました。
どうも雑誌に掲載されている気になるブランドのクレジットが同じ名前で、“じーびーがふぁす?”読みにくいなと思いながらも度々遭遇する名前に引っかかっていました。
日増しに湧き上がってくるコンセプトのある眼鏡と関わりたい気持ちはやがて転職へと掻き立てます。
休みのたびにコンセプトショップ偵察を行っていた私は、ある日大阪の南船場を徘徊中に、何だか外国にあるブティックのような眼鏡屋を発見します。今まで偵察してきた店とムードが違うぞと。しかも求人の貼り紙出してるし。じー、びー、何とか?、、この読みにくさに心当たりがあると思った私は家に帰って雑誌を読み直すと、たびたび引っかかってきた名前ではありませんか。
97年当時の初代G.B.Gafas南船場の門
“あー!!あの店が!”と興奮したのを今も記憶しています。
さっそく履歴書を送り、面接にこぎつけました。
面接が終わって数週間経っても音沙汰がなく、しびれを切らした私は自分から店に電話をしました。すみません、面接結果はいかがなんでしょうかと。もう気持ちはガファスになってしまっていたものですから、今となっては恥ずかしいのですが自分から聞いちゃったんですね。結果的に採用してもらって今に至るわけですが。もうそのぐらいガファスはいろいろあったセレクトショップの中でも抜群のセンスを放っていました。
異国ムードがプンプンしていた南船場店
入社後、働いている人たちの身だしなみへの意識の高さや、眼鏡デザインに対する意識の向け方、加工へのこだわりに大いに感銘を受けたのでした。眼鏡が入荷してくるたびにバックルームでは論評が飛び交い、イケてるイケてないでバトルする日々はとても刺激的でした。
店内中央にあったフィッティング作業スペース
数ヶ月して私は神戸で産声を上げた新コンセプトのdecoraに配属され、ガファスを後にしました。以来、外からガファスを見ることになりましたが、ガファスで初めて触れたまばゆいばかりの輝きを放っていた眼鏡の記憶はいつまでも網膜に焼き付いております。今見れば技術的には未熟な眼鏡も未だに強い思い入れがあります。きっと初めてコンセプト系の眼鏡に触れるお客様の中にも同じような気持ちで眼鏡を手に取る方もおられることでしょう。
今まで見たことがないワクワク感をいつも与えてくれる眼鏡店、ひとつひとつの眼鏡が光って見える眼鏡店、それがG.B.Gafasです。
細かいコンセプトはHPを読んでください。
そんなテキストなんぞを吹き飛ばす、直感に訴えかけるムードを持った店がG.B.Gafasなのです。
4月1日、いよいよG.B.Gafas大阪梅田店が移転リニューアル致します。ガファスらしい“いいムード”の店に仕上がっていると思います。ご期待ください。
(decora TOKYO 漆畑)